セルフイメージを変えるリフレーミング
自分に対してどのようなイメージをもっているのか。
そのイメージのことを「セルフイメージ」と言います。
このセルフイメージは、周りの人たちや自分自身が、自分に対して投げかける「言葉」によって創られています。
この「言葉」あなどるなかれ。
自分に投げかける言葉を変え、これを続けていくと脳の構造まで変わることがわかってきたのです。
心理学では「言語の修正」や「リフレーミング」などで用いられています。
人は、ある刺激に対して感情を喚起します。そして、それと似た記憶と感情を思い出します。これは、身体反応にも影響するそうで、実際に視力矯正や育毛など、幅広いイメージトレーニングでも活用されているそうです。
さて、本題に戻ります。
セルフイメージは周りの人たちや自分が使う「言葉」でできています。そうすると、そのセルフイメージがそもそも真実なのかも怪しくなってきます。
ただ幸運なことに、言葉は物事の「ポジティブな面」と「ネガティブな面」の両方を表現することができます。ものは言いよう、理屈と公約はどこへでもつく、なんて言葉もあるくらいです。
せっかくなので、この言葉の表現力を利用します。
それが「リフレーミング」です。
有名なものは、コップの水を見て、「もう半分しかない!」と思うか「まだ半分もある!」と思うか、です。
その他にも、クリスマスに流れる「赤鼻のトナカイ」もリフレーミングです。トナカイさんにとって、みんなから笑われる赤い鼻はコンプレックスでした。しかし、サンタのおじさんにとっては、暗い夜道に欠かせない大切なものだったのです。それを知って、「今宵こそは!」とトナカイさんは張り切ります。
例を読むと、ただの言葉の言い換えに過ぎないのではないかと、その効果を疑いたくなってしまいます。そんなに簡単にコンプレックスがなくなったら、誰も苦労していないと。
ですが、続けていけば喚起される感情と記憶が変わり、身体反応も変わり、さらにセルフイメージが変わり、脳の構造まで変わるのです。
そう考えると、あなどれないですね。
そんなリフレーミングにはちょっとしたコツがあります。
それは種類を知ることです。
リフレーミングには以下の2種類があります。
①意味のリフレーミング・・・事柄や行動など、そのものの意味を変える。
「飽きっぽい」は「好奇心旺盛」
「反抗的」は「自分を持っっている、意思表示ができる」
「ふざける」は「陽気な」
「だらしがない」は「こだわらない、おおらか」
「短気な」は「情熱的な」
②状況のリフレーミング・・・場面によっての意味を変える。
「こだわりが強い」は「集中力が必要な時に役立つ」
「迷って決められない」は「みんなの意見が尊重できる場で役立つ」
「調子に乗りやすい」は「雰囲気を明るくしたい時に役立つ」
「しつこい」は「粘り強さや諦めない力が必要な時に役立つ」
「よく考えない」は「行動力が必要な場で役立つ」
状況のリフレーミングは、例えば「力が強くてお友達に暴力的になる子」など、意味のリフレーミングができない場合に使えます。
お友達を叩いたり、突飛ばしたりするのはいけないことです。そのことで、大人からは怒られ、お友達とはうまくいかない。そのため自信がどんどんなくなって、さらに素直でなくなってしまう。
こんな悪循環を意外とよく見かけます。
これが続くと「力が強いから嫌われるんだ。」とその子自身のコンプレックス、不幸の材料になってしまいます。
この場合、よくよく考えると悪いのは力が強いからではありません。力が強い能力をお友達を叩いたり、突飛ばしたりすることに使うのが悪いのです。
せっかく与えられた「力が強い」能力です。
その能力を使ってお年寄りの荷物を持ってあげたり、運動会の綱引きだったり、スポーツだったり、役に立てる場所はたくさんあります。
どんな能力であれ、与えられた自分の個性、特性です。ネガティブに捉えて、自分を不幸にする材料にしてしまうのはもったいないことです。だからといって、うまくいくこともいかないこともあります。何がなんでも無理矢理ポジティブに、というのも窮屈です。
物事にはメリットもデメリットも同じだけ存在します。
自分の個性を色んな視点から見ることで、誰かのために役立てられるのはどんな方法か、自分が楽しめる場面はどこなのか「活用する材料」にしてしまえば可能性も広がります。
実際にリフレーミングを試してみると、実は中々難しいんです。どう表現すればいいのか、思いつかないこともあります。何とか思いついても、ちょっと強引過ぎて愛を感じるものや思わず笑ってしまうものなどもあり、やっていくと地味に楽しめます。