実は曖昧な発達障害の定義
発達障害は、「発達のでこぼこ」とも言われるように、人よりも抜群にできるところもあれば、全く振るわないところもある、といった特徴があります。ですので、外見から発達障害を判断することは難しいのです。
周りも本人も「ちょっと不器用だけど普通の子」だと思っていたら、実は発達にでこぼこがあって日常生活や学習に困難を抱えていた、ということもあります。
また、発達障害に限らずですが「環境」によってもその子のできること、できないことが大きく変わるのも特徴です。
例えば、人よりも少ない情報しか記憶にとどめておけない子がいます。やって欲しいことを指示するとき、普段通りの言葉だと理解出来なくても、言葉を短くして端的に伝えるとちゃんと指示に従える、という事があります。曖昧な言葉を使わず、具体的な「行動の言葉」を使うと伝わりやすい、とも言われています。
他にも、
- 電子レンジの使い方を何度言葉で説明しても自分でできない子に、手順を紙に書いて貼っておくと一人でも使える。
- アナログ時計で時間管理ができなかった子が、デジタル時計だと時間を守れる。
- 読み飛ばしが多くて、音読が苦手な子に、下敷きで読まない行を隠して一行一行見えるようにすると正確に音読ができる。 などなど。
与えられた環境によって、困難なことができることになり、できることが困難なことになります。
つまり、発達障害の「障害」とは、その子の能力と環境との差が大きいことだと思います。
発達障害だけでなく、バリアフリーといった障害者、高齢者、ベビーカーなど子育て中の方が快適に生活できるような工夫も広がっています。
発達障害はその特徴から、外見からわかりにくいこともあり、環境の工夫も一筋縄ではいきません。
つまずきの原因を見極め、周りも本人も試行錯誤して努力して、やっと光が見えてきます。
そのため、中には「発達のでこぼこなんて優しい言葉では足りない。障害って言葉でやっと努力が伝わる。」なんて言われる方もいます。
それだけ、社会に適応するために大きな壁があって、大変な努力を重ねて乗り越え続けているのだと思います。
また環境については、能力がありすぎても浮いてしまう、という逆の現象もあります。
日本は飛び級がないので、基本的にみんなと同じ進度で勉強します。できすぎても環境と自分の能力とに差ができ、困難にぶつかることはあります。
歴史的にも、第二次世界対戦で迫害に遭ったユダヤ人、今まさに迫害に遭っているミャンマーのロヒンギャ族は、圧倒的に商売上手なところが共通しています。(国を持たないところなど共通点は他にもあり、迫害の直接的な原因とまでは言えませんが)
ちなみに、保険や株式はユダヤ人が考えたものです。さらに、ユダヤ人は書物が焼失、没収されてもいいように丸暗記が基本だったそうです。
話が少し大きくなりました。もちろん迫害はあってはならないことです。ただ、環境と自分の能力とに差があると、社会に適応することが辛いのは想像がつくかと思います。
話は戻って「障害」とは、自分の能力と周りの環境に大きな差があることです。
ということは、つまり「環境が変わればその差は縮まる」とも言えます。
特に発達障害はその個性をいかに伸ばし、いかに克服するかで、社会との関わりが大きく変わってきます。
言うは易し、ですが、だからこそ、試行錯誤しても適切な努力の方法を見つけ、大変でも努力し続ける意義があるのだと思います。